
夢樺 - Yumeka
幼少期から歌が好きだったかと聞かれたらどちらでもなかったと思う。
祖母の車で流れていた坂本冬美さんの「夜桜お七」を、気づけば覚えて口ずさんでいた。
その様子を見ていた母が、地元のTV番組でちびっこ歌合戦の出演者を募集していることを知り応募した。
4才の子どもが演歌を歌うのが画的に面白いと思ったのか、出演が決まった。
当時母がずっと目をキラキラと輝かせながらこちらを見ていたのをよく覚えている。
小学生になり、昼休みにクラスメイトの男の子が教室のオルガンを弾いていた。
上手すぎて衝撃だった。
ピアノ、かっこいい…私もあんな風に弾けるようになりたい。
母に何度も土下座してお願いして、そこから中学卒業までの間ピアノ教室に通わせてもらった。
ピアノ教室に週1通えることで満足し、ほぼ自主練はせず先生に怒られていたのだが(おい)、
唯一母とハマって見ていた韓国ドラマ「冬のソナタ」の挿入歌である「My memoly」だけは
弾くたびにドラマの情景が浮かぶのでめちゃくちゃ練習した。
歌に興味を持ったのは中学1年生の終わりに、これまた母がTV番組の
歌合戦の特番に「応募していい?」と言うのでなんとなく「あー、うん。」と言ったら
なぜか予選に通過してしまい、TV放送される上位8人に選ばれてしまった時である。
お客さんに目を向けると真剣な眼差しで聞いてくださっていて、
単純に嬉しかった。その分緊張もしたけど。笑
結果グランプリにはなれなかったのだが、いい経験となった。
高校生になり、まだまだ止まらない母が今度は
全国放送のものまね番組に応募しようと言い出した。
流石にそれは私も驚いたのだが、母には謎の自信があり勝手に電話をかけていた。
ものまねはできないものの、歌でチャレンジしてみたらまさかの合格し、
日本全国へ向けて歌を披露することとなった。
この時になると、お客さんの前で歌を披露することは
「気持ちいい!楽しい!!」という高揚感に変わっていた。
もっと歌いたい、自分の気持ちを歌にしてみたいと思ったのは
その経験の後からで、ピアノと中学時代少しだけ触っていたギターで作曲を開始した。
高校卒業後に音楽活動を開始。
ライブハウスやイベントに呼んでいただき、いろんな場所で歌わせてもらった。
番組以外のオーディションにも挑戦し、(あまりない言い回し)
YAMAHA主催 The 6th Music Revorution 宮崎大会ではグランプリを受賞。
自主企画イベントやワンマンライブも積極的に行った。
その後結婚、3人の子どもを出産し現在はセブ島に居住。
自身のSNSで「#yumecover」と称し日本の名曲をカバーしたり、オリジナル曲を届けている。
新しい発見や挑戦が好き。
おいしい食と旅行のために運動をしている。